日本騎兵の父・秋山好古のシビれる名言7選 | 坂の上の雲
引用元:秋山好古 - Wikipedia
日露戦争においてロシアのコサック騎兵を打ち破った、元日本帝国陸軍大将・秋山好古。ぼくの人生観に大きな影響を与えてくれました。
もし彼が存在していなければ、日露戦争に勝つことはなく、今の日本の状況も大きく変わっていたでしょう。現代日本を作った一人なのです。
好古はとにかく無欲でした。
若い頃の自室には、
- 鍋1つ
- 釜1つ
- 茶碗1つ
しか置かれてなかったそうです。いわば究極のミニマリスト。
食に関してもこだわりがなく、いつも米とたくあんだけで済ませていました。その代わり酒は大好きだそう(笑)
彼の生き様と武勇は弟・真之、詩人・正岡子規と共に、小説「坂の上の雲」で詳しく語られています。
この記事では、そんな日本騎兵の父・好古のシビれる名言を紹介していきます!
秋山好古名言7つの名言
1. 「男子は障害一事をなせば足る」
好古が普段から自分に言い聞かせていた言葉です。彼にとっての一事とは自分を世界一の騎兵将校まで鍛え上げること、日本騎兵を世界水準まで育てることでした。
本当に大切なことだけに命をかけてきた、彼の生き様が感じ取れます。
2. 「身辺は単純明快でいい」
好古の人生は"日本騎兵の育成"だけに捧げられました。それ以外はムダと考えており、生活はとてもシンプル。
衣食住にこだわりというものが一切なく、結婚欲や物欲も全くありません。
生涯、本質のみにすべてを費やしたのです。情報が溢れている現代において、学ぶべき点が多くありますね。
3. 「のっけから運をたのむというのは馬鹿のすることぞ」
大学予備門の入学試験の相談をしてきた、弟・真之に対する言葉です。
- 「勝てる喧嘩をしろ」
- 「勝ち目のない相手と喧嘩をするときもせめて五分のひきわけにもってゆく工夫をかさねてからはじめろ」
というのが好古の教えでした。
自分の実力に見合った道を選び、地道に努力を積み重ねるべし。この考えのもと、日清戦争と日露戦争で偉業を果たしたんですよね。
4. 「おのれの意見もない者が、他人の意見を読むと害になるばかりだ」
弟・真之が新聞を読んでいるときに放った一言です。今風に言うと、寝そべっている弟からスマートフォンを取り上げるようなもの。ちょっと異常ですよね(笑)
昨今、メディアによって偽りの情報が撒き散らされています。 その点好古の指摘は、現代でも通用します。自分の頭で考えず何でもかんでも鵜呑みにするのは、害でしかありません。
5. 「むいてなければさっさとやめる。人間は、自分の器量がともかく発揮できる場所を選ばねばならない」
働き方についてそう語る好古は愛媛・松山での銭湯バイト、大阪・名古屋での教員生活を経て、東京で軍人になりました。
ぼくの仕事観に強い影響を与えた言葉です。嫌なこと・向いていない仕事を続けてもしょうがない、自分に力が100%発揮できる仕事を選ぶべし!
6. 男にとって必要なのは、「若いころにはなにをしようかということであり、老いては何をしたかということである」
この一言だけが人生の目的でした。
限りある人生の中でなにを成し遂げるのか、なにを成し遂げたのか。それだけがすべてなのです。
意識高い系というかイタい奴な気もしますが、結果が伴ってますからね。ぐさりと胸に突き刺さりました。
7. 「だからいかにすれば勝つかということを考えてゆく。それ以外のことは余事であり、余事というものを考えたりやったりすれば、思慮がそのぶんだけ曇り、みだれる」
弟・真之に「人間はどう生きればいい?」と聞かれたときの言葉です。軍人の道を選んだ以上敵に勝つことが仕事、負ければ軍人ではない、とまで言い切りました。
格闘家・青木真也さんも似た言葉を口にしています。
もしも本当に強くなって格闘技一本で食べていきたいならば、エネルギーを投下すべきところは間違いなく格闘技だけだ。それ以外に費やす時間とお金は無駄遣いでしかない。
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男にとっては、生涯一つのことに集中して成し遂げるだけでよく、それ以外は切り捨てよ!というわけです。
思いっきりシビれる生き様。いつも胸に刻んでおきたいものです・・・。
まとめ
ぼくは好古の存在を知り、衝撃を受けました。以来、歴史上の偉人の中で一番尊敬しています。
司馬遼太郎著「坂の上の雲」は全8巻。これでもか!というほど、好古の達成した偉業の数々が描かれています。
興味があればぜひ手にとってみて、彼の生き様を体感してみてください!