社会不適合休学系大学生のブログ

イトウワタルです。休学してセブ島留学や西日本ヒッチハイク縦断、インド一人旅を経験。ゆるりと眺めてみてね。

石橋を丁寧に叩きながら -While knocking on a stone bridge carefully-

 

人はなぜ働くのだろうか?

家族を養うため?趣味にお金をかけるため?仕事を通して自己実現をするため?

全ての考えられうる答えが正しくて、同時に正しくないような気がする。

 

僕は現在、大学に通いながら週3で企業で働かせてもらっている。

働いている時間で見ると、"半社会人"みたいな立場だ。

能力と経験をつけようと思い立ったのが働くことになったきっかけで、責任は背中にずっしりとのしかかっていて確かな質量感を常に感じてはいるけれど、かなり恵まれた環境にいると自覚している。

 

朝起きて、ランニングして、シャワーを浴びて、朝ごはんを食べて、電車に乗って、大学でなんとなく講義のノートを取って、会社で働いて、終わったら家に帰って寝る。

矢のように過ぎ去っていく日々の中で、疲れの殆ど取れていない体に鞭を打ち続ける毎日の中で、文明社会に生きる人類の命題とも言える"働く意味"についてしばしば考えることがある。

 

週に3日しか働いていない僕が口にするのはおこがましいのかもしれないけれど、"半社会人"として片足を大学側に、片足を会社側に突っ込むことで色々なものが見えてきたような気がするのだ。

 

面白いことに僕の日常は綺麗に区分されていて、平日は大学と会社にいる時間が半分ずつ、土日は完全オフ-日によっては会社に行ったり講義の課題やテスト勉強に追われる時もある-と行った具合だ。基本的には等分されていると言っていい。

 

会社での時間の流れはとにかく早い。やるべきことに追われて、それが決して簡単でないから息を着く時間もあまりない。真面目に働いて、気づいた頃には終業の時間が来ている。

一方で、大学での日々は比較的穏やかである。同級生は来年に就活を控え、いくらか焦燥の気配を感じるけれど、それでも依然のんびりとした日々がそこにはある。

 

この二つの共同体のギャップはいささか大きいため、日によって、時期によって自分の生活スタイルと時間感覚を擦り合わせる必要がある。その慣らしの作業があるいは僕に慢性的な疲労をもたらしているのかもしれない。土日が休みであるとはいえ中々疲れが取れないということも、このある種"時差ボケ"的な現象に起因しているのだろう。

 

いっそ大学の講義だけに集中するか会社でフルタイム勤務してしまおうか!なんて考えたことがない訳ではないが、現実的に難しく、結局今の二重的な生活に落ち着くという訳である。

 

けれど、最も強く感じているのは、少なくとも社会に完全に放り出される前に("半社会人"としてでなく)企業で働く機会を得られて幸運だったということだ。

勤労の具体的なイメージを掴むことができたし、自分自身の適性もいくらか推し量ることができるから。

 

日本の大学生で長期インターンにコミットしている人はマジョリティーではないけれど、なぜ働いたこともない企業・業種にえいやと就職できるのか、僕の目から見ると甚だ疑問でならない。みんなギャンブラー気質なのだろう、きっと、おそらく。

 

僕の場合、幸い博打を行うことなく、石橋を丁寧に叩きながら仕事を選ぶことになりそうなので、より色々な仕事を体験したり、より色々な人と話したりしながら、より考えを深め磐石のものとする必要があるのかもしれない。一番は長い人生における"仕事"の意義だ。簡単に答えは見つからないだろうけれど、輪郭ぐらいはなんとなく目視できるくらいにはっきりさせたい。

 

典型的な大学生活では全くない。サークル合宿に行ったことがなければ、地方から出て来た彼女の家で一夜を過ごしたこともない。こうして文字にして見ると虚しく思えなくもないが、全ては過ぎたことであり、後戻りは決してできない。何事も便宜的に考えなければ、足を絡み取られ、瞬く間に人とモノの流れに取り残されてしまう。

 

とにかく、残りの大学生活でじっくりと、しかし着実に石橋を丁寧に叩きながら、自分なりに働く意味と目的とその具体的手法についてますます考えなければならない。