社会不適合休学系大学生のブログ

イトウワタルです。休学してセブ島留学や西日本ヒッチハイク縦断、インド一人旅を経験。ゆるりと眺めてみてね。

「孤独」という名の酒 −A drink they call "Loneliness"−

 

時々、言われのない恐怖感だとか孤独感だとか不安感だとかあるいはそれらの混ざり合ったものに襲われて眠れない夜がある。

 

そんな日はのっそりと、春の熊みたいにベッドから抜け出して、冷たい水を一杯ぐいと飲み干すか、ブラックニッカを一口だけ飲む。

 

そしてベッドへと戻り、シーツにくるまって、押し寄せるざわめきが通り過ぎるのを待つ。

 

朝が来て太陽が顔を出し始めると、まるで何事もなかったかのように日常へと戻っていくわけだから不思議だ。

 

この現象が一体いつから始まったのか、何がきっかけなのだろうかと頭を捻ってみても結局分からずじまいで、"気づいたら始まっていた"というのがおおよその推測である。

 

あるいは、このざわめきこそが大人になるということなのかもしれない。

 

親による制約と保護の檻に囲まれていた子供の頃とは違い、大人になるにつれ、沢山の見たくない光景と知りたくない事実で構成された日常という泥沼の中へと、少しずつ足を踏み入れていくことになる。

 

日中は沼の中で何かに耐えるかのように身を固めてじっとしているのだが、夜の間だけは自由と休息が与えられ、朝まで沼の外で一休みすることを許される。

 

ヌルヌルとしていて心底居心地の悪い沼と、豊かな草花が生い茂る感じの良い岸。

 

その隔たりがあまりに大きいから、ある者は夜の間、映画を見たり音楽を聴いたり本を読んだりして幻想の世界に浸る。ある者は夜の間、沼の中で過ごす日々への準備をする。ある者たちは夜の間、"孤独"という名の酒(ビリー・ジョエル風)を酌み交わし、しばし日常を忘れようと試みる。

 

僕の場合は、取り立ててすることもなく、じっと夜が過ぎるのを待つ。

 

こうして少しづつ、しかし確かにその隔たりへと慣れていき、無理をする必要がなくなり、穏やかな日々を手に入れる時がやがて来る。それと同時に、夢だとか大志だとか、そういったものの気配は段々と消えていき、やがては日常の雑踏へと飲み込まれていく。

 

この慣らしと鈍化の作業が −自分の理想の世の中と現実の世の中とをすり合わせ、妥協点を探り、諦めるというプロセスが− 大人になるということなのだと時として思う。

 

まともな思考と人格を持っている人は、淡々と流れていく日常に違和感を感じるかもしれないし、抵抗しようとするかもしれない。

 

けれど、時間は絶えず流れ続けるし、日々は絶えず繰り返され続ける。

僕たちはそのペースに慣れ、必死に自分を合わせるしかない。

 

それが大人になるということならば。