社会不適合休学系大学生のブログ

イトウワタルです。休学してセブ島留学や西日本ヒッチハイク縦断、インド一人旅を経験。ゆるりと眺めてみてね。

私の「空白の期間」について、休学期間総括

最近ふと思い立ち、上野動物公園へカメラを持って足を運んだ。

こうして何の目的もなくフラフラと見慣れない場所を歩くのは、随分久しぶりに感じた。

家族連れの観光客が仲良く手を繋いでいる姿を見ると、幼い頃家族で休日に遊んだ記憶が蘇ってきた。

そして、またこうして動物園なんかに一人で来ようとは全く思ってもみなかった。

その日は不思議と心地よい気分で一日を過ごすことができた。

 

 


 

 

さて、本題について書いていこうと思う。

 

その日、私は出かける前にカメラの容量を整理する必要があった。すっかり動きの鈍くなったPCへ膨大な量の写真を移すには、割と時間がかかった。

 

私は待っている間に特にやることもなかったので、カメラの中に入っていた写真たちを眺めていた。

 

今年の一月に訪れたインドの写真である。

 

すでに何度かデータの移行を済ませていたつもりだったが、まだ450枚ほどSDカードの中に入ったままだった。

 

私は写真を何となく眺めながら、ガヤとコルカタでの出来事に思いを馳せていた。

 

と同時に、「写真の移行作業も忘れていたのだから、自分の中で、あの「空白の期間」での出来事を整理できていないのかもしれない。」となんとなく思った。

 

というのも、私は少しの放浪期間を終えてすでに3ヶ月が経つというものの、何だか常に落ち着かない心持ちでいたからである。

 

そんな気持ちを抑えようと、何度か文字に興してみたり、気のおけない知人に経験した出来事を話してきた。が、依然状況は変わらず。

 

それでも、3ヶ月という短からぬ月日が経ったからこそ、今なら気持ちの整理ができるような予感がしている。

 

駄文ではあるが、あの半年という空白の期間に起こった全てを綴っていこうと思う。

 

そして、このような形で何か書くことはもうないし、できないだろう。

 

長くなりそうなので、お時間がある方だけ付き合ってください、写真も貼っていきますので。

 

 


 

それまでの人生

 

私は元々、至極平凡でつまらない人間だった。(今面白い人間なのかと言われるとそうは思わないが、少なくとも今よりかは幾分退屈な人間だったと自負している)

 

取り立てて特筆すべき特徴もなく、何らかの大きな欠点もない。

勉強もスポーツも人並みにはできたし、クラスの中でムードメーカーではあったが、周囲から絶大な信頼と人気を得ているかと言われるとそうでもなかった。

 

高校生までは言われたことをただ淡々とこなし、周りに流されて日々を過ごしていた。

 

 

そして、都内の私立大学へと進む。

 

 

そこそこ名の知れた大学ではあるけれど、実家からの距離がそう遠くないことと自分の学力で目指せなくもなかったこと、学食が美味しいと有名だったこと(学食は数回しか食べたことはない)くらいが主な志望動機であった。

 

そうしてさしたる理由もなく入った大学であったから、特に学問に打ち込むわけでもなければサークル活動へと精を出すわけでもなく、惰性でバイトをこなして、時間を潰すかのように金を使い、虚しく日々は過ぎていった。

 

 

友人は数えるほどしかいなく、これといった趣味もないし、ましてや夢なんてものも持ってない。

唯一、膨大で自由な時間が私の前に横たわっていた。

まるで「これから何でもしていいよ。」とサバンナのど真ん中に取り残されたような気分である。

どこにオアシスや町があるのかも分からず、時間は無情にも私をあざ笑うかのように過ぎ去っていた。

 

 

こんな何の面白みもない人間である。周りから人がいなくなっていったのも当然と言えよう。一人、また一人と何の知らせもなく離れていった。

決して寂しくはなかったが、孤独だった。

 

 

こうして大学二回生になった。とはいってもキャンパス内に私の居場所はどこにもなく、それまで得たものと言えば幾らかの酒の知識と偏屈さだけ。見る影もなかった。

 

 

気づけば大学に入学して早一年、何もしてこなかった。

見渡せば、希望に満ち溢れた新一年生達。

「「自分」という存在がなくても、世の中は滞りなく回っている。」

「「私」という存在には何の価値もないのだろう。」

そんな風に思っていた。

 

 

次第に私は講義を休みがちになり、「中退」という言葉が頭をチラつくようになった。

しかしそんな勇気など到底ない。社会のレールから迷いなく外れるなんて、私には考えられない行為だったのだ。

したがって、「休学」という妥協策に甘んじることになった。

 

 

「ただただこの環境から逃げ出したい。どこか遠い場所へ行きたい。」

具体的なプランを練る前に、「休学」という道が確定し(休学届けを大学事務センターへと提出したのだった)、いよいよ何をするか決めなばならなかった。

 

 

英語留学をすることに決めるのには、それほど時間はかからなかった。

金髪美女にモテたいだの、色々なバックグラウンドを持った人と話したいだの理由は浅はかだったが、行動こそが全て。

とにかく最初の渡航先として、私はセブ島行きのチケットをネットで取った。

当初は、その後トロントにも行くつもりだったが、如何せん費用が予想以上にかかるであろうと見込み、結果的に3ヶ月間の留学生活となる。

 

 


 

セブ島留学

 

韓国の仁川を経由して、フィリピン・セブ島のマクタン国際空港へと私は降り立った。

日本の夏とは違う、湿度の低いカラッとしたアジアの空気が印象的だった。

飛行機の遅延により到着したのは早朝4時、他の留学生達と合流し、無事に語学学校へと向かうことになった。

 

 

今でも時々、あの南国の島の風を懐かしく感じることがある。

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眩しい朝日を浴びて目を覚まし、簡単な朝食を取り、温かいコーヒーを飲みながら授業の準備をして、夕方までマンツーマンで英語の授業。

フィリピン人はみんな社交的で明るい性格だったからか、次第に私の方も元気になっていった。

 

 

授業が終われば、決まって他の留学生達と飲みに行った。

夏休み中に来ている大学生や転職期間中の社会人、台湾人やロシア人、たくさんの素敵な人たちに囲まれていた毎日。

一緒にランチを取ったり、夜はレストランで一緒に冷たいビールを飲んで語らう。こんなにも幸せな日々はそうないのだろうと思う。

 

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とりわけ、台湾人の皆とは仲良くなった。

休日にはオスロブに行ってジンベエザメと共に泳ぎ、ボホール島へと泊りがけで行って世界最小の猿ターシャを見たり、数え切れないほど飲みにも行って、色々な話をした。

「勉強するための語学留学じゃないのか?」と言われそうだが、何事も制約をつけると面白くなくなる。

もちろん勉強は大事だし、実際よく英語を勉強したが、こうして成り行きで色々な場所へ行き、色々な人と話すことも広い意味での勉強だ。

少なくとも、私の中にはかけがえのない素敵な思い出として刻まれている。ということは、正しい行動だったのだろうと思う。

 

 

また、あまり詳しくは言えないがとある女の子と出会った。

ゆくゆくは日本人の女の子と結婚するのだと漠然と思っていた私にとって、忘れがたい思い出となった。

話した内容、歌っていた曲、行った場所が全て鮮明に思い出される。

 

しかし言語の壁・文化の壁からか今では全くの疎遠であり、もう二度と会うことはないだろうと思っている。

 

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あれは果たして恋だったのだろうか、それとも勘違いか、憐れみか。

少なくとも前者ではない気がしている。我をも忘れるくらいの激しさが、そこにはなかったから。

まさに一夏の思い出である。

そしてその年の11月、私は予定通り日本へと帰国した。

 

 


 

西日本縦断ヒッチハイク

 

帰国してから2週間ほどして、私は国内の旅に出た。

 

理由の一つは、ずっとヒッチハイクをしてみたかったから。

そうすることで、自分への自信を持ちたかったから。

初めて一人でヒッチハイクをするには勇気が必要だったが、セブ島で様々な経験をした今なら大丈夫、そんな根拠のない自信があった。

 

もう一つは、屋久島に行ってみたかったから。

何を隠そう私はジブリファンであり、「もののけ姫」が好きなのだ!

 

・・・。

 

いや、そこまで深い理由は実はなくて、ただ単に思いつきである。

でもこの思いつきに身を任せるノリの良さが大事だと思っているので、私は選択に迷った時は心の赴く方を選ぶようにしている。それゆえ、屋久島を目指すこととなった。

 

 

最終的に旅は二週間で終わった。これを長く感じるか、短く感じるか人それぞれであると思う。

けれど、大多数の人は「短い」と感じるのではないだろうか。

実際それは短く、しかし「濃い」二週間だった。

 

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ヒッチハイクは思ったよりも簡単だった。ボードを掲げていれば30分足らずで車は止まったてくれたし、ご飯をご馳走してくれる人もいた。

 

 

人の「無償の優しさ」に沢山触れた。

私は今まで「周りの人間なんて面白くもなんともないし、クソ野郎ばっかりなんだ!」と思っていたが、この旅を通してその尖りは徐々に滑らかになって行ったと感じている。

 

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名古屋、大阪、京都、広島、福岡、鹿児島と訪れたが、この「無償の優しさ」こそが一番の収穫だったのだろう。それは旅にドラマを作ったし、少なからず私の人間性というものに影響を与えた。

 

見ず知らずの若者を乗せてくれた人たちはもちろん、家に泊めてくれたり、初対面なのに一緒に屋台で盛り上がったり、本当に素晴らしい思い出の数々である。

 

 

そんな人に恵まれた旅であったが、鹿児島の港からフェリーに乗りたどり着いた屋久島での三日間は孤独であったし、常に疲弊しきっていた。旅とはそういうものである。

 

出会いがなかったわけではないが、特に登山の時は孤独であった。

その中で沢山の考えが頭の中を駆け巡ったし、当然自分の行動の正当性や人生についてもまた考え出してしまった。

 

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そして、とにかく毎日疲れ切っていた。一日中思いバックパックを背に、セカンドバッグを前から掛けて歩き回り、夜には倒れるように眠りに落ちる。

京都駅近くの公園で寝袋にくるまって泥のように眠ったり、屋久島行きのフェリーの中で1日中まどろんでいたりした思い出が懐かしい。

 

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しかし、8時間近い登山の末に到達したゴールの雄大な景色が、それらを全てを吹き飛ばしてくれた。

「ここに来て良かった。この道を選んで良かった。」

心からそう思った。

 

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その後無事に下山をし、フェリー・高速バス・飛行機を乗り継ぎ東京へと帰るのだった。

 

 


 

インド放浪

 

12月に帰ってから約1ヶ月間のんびりと過ごし、翌年の1月私はインドへと旅立った。

今回は理由があった。

 

 

 

私は大学の講義で、インドのとある街の存在を知り、強く心を惹かれた。 

 

「バラナシ」

 

ガンジス川に面した街である。

 

その授業は「死」が題材であり、今までの人生で生死について深く考えたことのなかった私にはとても新鮮だった。

 

古代ローマやインカ文明などたくさんの社会における死を学んだが、とりわけ興味を持ったのはインド人の死に関する価値観と、そのインド中から死体が運ばれてくるという街・バラナシであった。

 

細かい話は割愛するが、どうやらその街には火葬場があるらしく、そこで炎に包まれ、残った骨がガンジス川に流されることで、魂がガンジスに還るというのだ。

そしてその光景を親族や通行人、犬や牛たちが共に見届けるらしい。

 

「死ぬまでに一度は行きたい。」

 そう強く感じた。

 

ということで、ちょうどいいタイミングだと思い、私はインドを1ヶ月旅することにしたのである。

 

正直あまりに沢山の出来事が起こりすぎて、この場では語りつくせない。

 

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ただ一つ言えることは、私は此度のインド放浪を通して変わってしまった。

 

 

それが良い意味なのか、あるいは悪い意味でなのか、未だに私には分からない。 

 

けれど、あの神秘の国の異質な街・バラナシに一週間滞在し、ガンジスの聖なる空気に包まれたことが、私に「何か」をもたらしたことは肌感覚で感じている。

 

前よりも客観的に物事を観れるようになったが、同時に前よりも感情の起伏が小さくなった。

 

これが成長あるいは大人になることなのかもしれないし、かの三島由紀夫のようにインド来訪を経て狂ってしまったのかもしれない。

 

この記事を執筆している今も、自分自身の変化について行けていないと感じている。

まるで違う誰かが私の中に入り込み、今までの私をどこかに追いやってしまったような、そんな気分で日々を過ごしている。

 

人は私のことを指差して「痛い奴だ」と言うだろうし、精神疾患を抱えていると思うだろう。

だが心身は至って平常、されど不安定でフワフワとした気持ちが拭えないのだ。

 

 

そんなことをバラナシを出てからもずっと考え、感じており、無事に帰国し大学に復学した後も今日に至るまで感じ続けている。

 

この記事のタイトルは「私の「空白の期間」について、休学期間総括

腰を据えて整理しようと、言語化しようと試みた。

だけど、やはりうまくできない。

 

 

”私が旅をする中で見て、感じたものはゆっくりと私の中に沈潜していった。

 

それらは確実に私の血肉となったし、経験という名の財産である。

 

しかし、その見返りとして自分自身を大きく変えてしまった。

 

それは、初めて「死」を間近にすることによりもたらされたのだと思う。

 

そしてその大きすぎる違和感は、今もなお私を苦悩へと追いやっている。”

 

 


 

総括

 

休学をする前、私は変わりたかった。

退屈な日常から抜け出したかったし、退屈な自分を変えたかった。

 

 

そう考えると、目的は達成されたとも言える。

しかし私は何かを得たが、何かを失った。

文章としては最悪レベルの抽象さだが、これが私の今説明できる限界である。

この先もっとクリアになっていくかもしれないし、さらに靄がかかるかもしれない。

それは今は分からない。

 

 

けれど、結果として私はこの「空白の期間」を取ったことに後悔は全くしていない。

あの時道を踏みはずなければ得られなかった経験を得たし、自分の人生や生死についてよく考えた。

 

 

 

思うに、人にはこのような期間が必要である。

然るべき時に、然るべき期間孤独になってみることが必要なのだ。

それは多くはアイデンティティに悩む青年期であるかもしれないし、ファーストキャリアを終える時かもしれない。

たった1ヶ月かもしれないし、数年に及ぶかもしれない。

九州地方の山奥かもしれないし、南米の僻地かも分からない。

 

 

 

 

「Life is a jouney.」

 

セブ島で出会った壮年のアメリカ人に言われた言葉である。

凄くありきたりで、曲の歌詞なんかでよく目にした代物だが、こいつこそが本質だと思う。

 

「人生は旅である。」 

 

険しい道を歩くこともあるし、急ぐ時もあるし、少し休むこともある。

気に入った場所では立ち止まってみて、来た道を振り返ったり、自分と向き合ってみるのも良い。

いつ終わるかも分からないし、いつ目的地にたどり着くかも分からない。

人それぞれにストーリーがあって、だからこそグラデーションのように鮮やかに映るし、だからこそ愛おしい。

 

 

おそらくこの手の話に適切な結びはないと思うので、ここら辺で強制的に終わらせようと思う。

 

ここまで長ったらしい駄文を読んでくれた暇を持て余している方、「休学」というワードでGoogle検索をした方、そしてたまたまネットという大海原に漂っていたこの記事を発見してくれた全ての方々、付き合ってくれてありがとう。

 

私のことを狂っていると思ってくれて構わないが、その前にぜひバラナシの街へは行ってみてほしい。

 

私のおつむの悪い頭と乏しい語彙力ではこの思いを伝えきれないにしても、実際にあの街であの風に包まれながら、火葬場とガンジス河を見れば、私の真意が伝わるやもしれない。

 

 

もしかしたら、そのことによってあなたの人生は大きく変わることもあるだろう。

 

 

私は一切の責任を取ることはできないが、これも訪れれば分かるはずだ。

どうか死ぬまでには訪れて見てはいかがだろうか。

  

では、本当にこれにてこの記事を終わろうと思う。

冒頭で記述した通り、もう二度と「空白の期間」について深く考えることはしない。

なんの意味も成さないからだ。

けれど、いつかこの先の道のりで振り返ることがあった時、少しでもこの気持ちが晴れていることを願う。 

 


 

追伸 

 

この間渋谷のBOOKOFFで古本漁りをしていたところ、とある小説と運命的な出会いをした。

「深い河」

遠藤周作著のこの作品はガンジス川が舞台で、「死」「愛」が主題であるらしい。

まさに私の悩みにぴったりの一冊。出会うべくして出会ったような気がする。

人生とは実に面白いものだと感じさせられた。

この本に関しては、また別の記事で触れてみようと思う。